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■岩槻の人形の歴史■
岩槻は江戸時代、城下町として、また日光御成街道の宿場町として栄えていました。
岩槻周辺は昔から桐の産地で、当時、箪笥や下駄などの桐細工が盛んで、桐の粉が大量に出ました。この桐の粉をしょうふ糊で練り固めると、とても発色の良い人形ができあがります。
また良質な水にも恵まれ、胡粉(ごふん)を溶くのに最適でした。
胡粉とはひな人形等の顔・手足に塗る白い塗料の事で、荒川で採れる貝類を砕いた粉が原料です
桐の粉と岩槻の水とで作られた桐塑(とうそ)人形は丈夫で壊れにくく、土の人形よりもきめ細かく仕上がります。
それに気づいたのが、日光東照宮の造営や修築に当たっていた京都の工匠でした。
京都から日光までの長い道中、岩槻で宿をとりながら故郷の家族を思い出し、ひな人形等を作ったのかもしれません。
工匠たちは人形作りに適した岩槻に留まり、1615年頃から雛の節句に向く調度品を作り始めました。
江戸で雛市が立つ頃には、岩槻は関東一の雛人形の生産地となりました。
岩槻藩は雛人形の技術を閉ざして専売品とし、藩の財政を潤しました。
桐塑人形は量産もできるので急速に発展し、岩槻の代表的産業となり、現在にまで受け継がれています。
江戸という一大市場が近くにあった事が、「岩槻人形」が産業として発展していった要因とも言えます。
「岩槻人形」は平成19年3月9日、経済産業大臣から「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」に基づき、伝統的工芸品に指定されました。
埼玉県内では、「江戸木目込人形」、「春日部桐箪笥」に次ぐ3つ目の指定となります。
当会は「見ているだけで幸せになれる」ひな人形を作り続けることを常に心がけ、価格的にも幅広くひな人形を取り揃えております。
是非岩槻にお越しの際は、岩槻人形優良店会のひな人形をご覧下さい。
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